ダイヤモンド・オンラインに掲載されている「巨大銀行破綻で消えた元行員は今どこへ。34歳で破綻直前に退職決断、その後は転職人生へ」という記事が面白かったので、共有したいと思います。
「潰れる会社、倒産する会社」はどんな会社か?
記事内で産業再生機構の支援を受ける会社、つまり「どういう会社が潰れるのか?」について言及されています。
産業再生機構の支援を受けるような会社は、当たり前のことが当たり前にできなくなっていると石橋さんは言う。
「当たり前のことが当たり前にできなくなっている」とは、一体どういうことでしょうか?
具体的なエピソードが続きます。
たとえば目の前の机にペンがあったとする。
必要ならばすぐ手に取って使えばよいのに、誰のものかを気にして「使っていいですか」と許可をとっているうちに複雑な手順ができあがり、それが制度と化し、やがて机の上にペンがあることを書類上で知っていても実際に見たことがない人がたくさん出てくる。
そんなことが積み重なっていくうちに現場と意思決定する人との距離が離れ、判断が遅くなり、どんどん会社はおかしくなっていく。
これはとても特徴的なエピソードですね。組織においてルールや人員が増えていくことによる行動変化の様子がよくわかります。ルールや制度を導入するのはもちろん、組織での業務を円滑に進めるためですが、会社が成長・組織が肥大化しルール自体が増えていくと、内部にいる人達はルールを守ることそのものが目的になってしまい、実体が置き去りになるという現象ですね。
実体を見た人が誰もいないにも関わらず「慣習だから」とか「ルールだから」という理由で運用されている様はまるで幽霊のように思えます。ルールを守るためのコストが大幅に増加したことで、意思決定プロセスが遅くなることが組織が硬直化する直接の原因となっています。
ちょっとしたことでも上司の承認印が必要だったり、部門をまたいだ複数の上司承認が必要などでハンコリレーをしていると、だんだんこういう風になっていくわけです。
当たり前のことを当たり前にできるように徹底することが事業再生の要諦であり、石橋さんが産業再生機構で学んだことだった。
数多くの事業再生の現場に携わった結論が「当たり前のことを当たり前にできるようする」ということ。当たり前のことがきちんとできているうちはなかなか意識しないかもしれません。急激な変化なら誰しも気づきますが、少しずつ徐々に変化していき、周りの人間も疑問を持たずにやっている状況に置かれたら、なかなか気付きづらいものです。「鍋に入れたカエル」の話を彷彿されます。
「長銀を辞めてわかったのは一歩外に足を踏み出しても死にはしないことと、“常識”を“常識”と思い込んだ途端に思考停止に陥る、ということです。
『なぜその“常識”に従うのか?』、別の言い方をすれば『本当にあなたがしたいことは何か?』という投げかけは、自分のキャリアであろうと事業の再生であろうと、あらゆることで考えなくてはいけない共通の問いです。
スティーブ・ジョブズも同じことを言っていますよね。」
未知の新しい環境に移るときというのは、誰しも期待と同時に不安を持つものです。自分が中にいるときは外の世界を過剰に大きく評価しがちですが、外に出れば周りで言われていたことと実体の差というものが見えてきて、いろいろなことに気がつけるようになります。
何にせよ、自分で実際に現場を見てみる、体験してみることが真実につながっていきます。他にも詳しい内容が語られている良い記事なので、ぜひ読んでみてください。