未知のものを既知に変える勉強。勉強を通じて得られる学びは、私たちの人生をより豊かにしてくれます。しかし、勉強には時間や労力がかかり、ふとした瞬間に、『なぜ勉強しなければいけないのか?』という疑問がよぎることもしばしば。今日は、そんな勉強、新しいことに対する学びについて考えてみたいと思います。
元暴走族弁護士にとっての勉強とは
ドラゴン桜というマンガを知っているでしょうか?原作は、2003年から2007年まで連載された全21巻のマンガで、2005年にTBS系列でTVドラマにもなっています。
あらすじ
元暴走族の駆け出し弁護士・桜木建二(さくらぎ けんじ)は、経営破綻状態となった落ちこぼれ高校、私立龍山高等学校の清算を請け負うこととなる。
破綻を回避し経営状態を良くするためには進学実績、それも東大の合格者数を上げるのが手っ取り早いと考え、5年後に東大合格者100人を出すことを掲げる。
そのための第一歩として特進クラスを開設し、スナックのママをやっている母のような生活を見て人生をあきらめかけている水野直美と、裕福な家庭で育つも落ちこぼれてグレている矢島勇介を受け入れ、1年目でも最低1人の合格者を出すことを定め、そこに以前から受験指導に大きな実績を上げつつも、いろいろな事情で表舞台から消えていた個性溢れる教師を集める。
(ドラゴン桜 – Wikipediaより)
社会のルールと仕組みは、誰が創っているのか?
主人公の元暴走族弁護士桜木 建二が、生徒に向かって『なぜ勉強するのか?』を諭すエピソードがあります。
その中で、桜木は次のように言っています。
社会にはルールがある。その上で生きていかなきゃならない。
だがな、そのルールってやつは全て頭のいい奴が作っている。それはつまり、どういうことか?
そのルールは、全て頭のいい奴に都合のいいように作られているって事だ。
逆に都合の悪い所は、わからないように上手く隠してある。だがルールに従う者の中にも賢い奴は、そのルールを上手く利用する。
例えば、税金、年金、保険、医療制度、給与システム…皆、頭のいい奴がわざとわかりにくくして、ろくに調べもしない頭の悪い奴から、多く取ろうという仕組みにしている。
つまりお前らみたいに頭を使わず、面倒臭がってばかりいる奴らは、一生騙されて高い金を払わされ続ける。賢い奴は騙されずに得して勝つ。バカは騙されて損して負け続ける。
これが今の世の中の仕組みだ。
だからお前ら、騙されたくなかったら、損して負けたくなかったら、お前ら勉強しろ!
(桜木建二)
子供の頃に思った「なぜ、勉強しなければいけないのか?」という疑問
「なぜ、勉強しなければいけないのか?」というのは、子供の頃に私自身も疑問に思ったことがあります。英語や数学を学ぶより、ゲームやパソコンをいじっている方が楽しかったですんですよね。
今でも覚えているのは、社会科見学での出来事です。中学生だった当時の私は、社会科見学の授業で近所のスーパーマーケットに行きました。「社会で働くとはどういうことか?」実際に働いている人に話を聞くためにです。
忙しい中、二人の店員さんが親切にいろいろなことを教えてくれました。20代半ばぐらいの男性だったと思います。私たちのグループは、予め考えてきたインタビュー内容にしたがって、いろいろなことを聞きました。
- どういう仕事をしているのか?
- なぜ、この仕事をしているのか?
- この仕事をやっていて、どういうときに楽しいと思ったり、嬉しいのか?
- お金は、どのくらいもらえるのか?
などなど、店員さん達はとても丁寧に教えてくれました。そんな質問を何度か繰り返すうちに店員さん達から、「今、学校でどんな勉強をしているの?」と聞かれました。
その当時、私たちは連立方程式を授業で習っていたので、
私:「連立方程式をやっています。でも、新しいことなので、難しくてよくわかりません。」
と答えました。その答えを聞いた店員さんたちは、次のように答えました。
店員さん:「連立方程式なんて、社会に出たら使わないよ。別にできなくても、困らない。せいぜい使うのは、足し算引き算、掛け算ぐらいだよ。」
当時はそんなもんなのかな、と何気なく思ったものです。
それから数年後、情報系の大学に進学した私はオートマトンの授業を受けていました。100名近い学生が授業を受けている教室で、大学の教授が次のように言いました。
教授:「おそらく、今この授業で私が教えているオートマトンは、この教室にいる99人にとっては必要ないだろう。君たちが社会に出て仕事を始めたとき、オートマトンについて知らなくても99人は何ら困りはしない。実際に仕事で使うのは、1〜2人だろう。」
私:(あれ、どこかで聞いたことがある話だな…)
勉強というのは、プラスαの選択肢を与えてくれるもの。別に知らなくても困らない。大多数の人間は、自分が困る環境にわざわざ行かない。
当時の私から見た経験者たちの話を総合すると、連立方程式にせよ、オートマトンにせよ別に知らなくても困らない、という答えでした。
じゃあ、それでやる必要がない、やらなくても困らないからやらずに済まそうと思ったかといえば、私はそうは思いませんでした。その後わかったことは、連立方程式ができなければ、ビジネスにおける損益分岐点の計算ができないということであり、オートマトンがわからなければプログラミング言語で使うようなコンパイラを作ることはできないということでした。
私なりの答えを言えば、ビジネスにおける損益分岐点の計算をするような仕事をしないのであれば、連立方程式は知らなくても困らないし、コンパイラを作る仕事をしなければオートマトンについて知らなくても困りません。
結局は、自分がどんな仕事をやりたいのか?が、知識獲得するべきか否かの判断基準になります。もしまだ自分がどんな仕事をやりたいのか?が決まってなければ、多くを学ぶことで選ぶときの選択肢の数を増やすことができるようになります。オートマトンがわからない人に、コンパイラを作るような仕事は回ってきません。
仕組みを創り始める、起業という仕事。
これは、起業においても同じことが言えます。サラリーマンから起業をするとか、新しいビジネスを始めるというのは、自分の仕事を「仕組みを使う仕事」から「仕組みを創る仕事」に定義し直すことが求められます。「仕組みを使う仕事」をしていたときには、まったく必要がないと思えることも、「仕組みを創る仕事」するときには、必要不可欠な知識となります。
この辺の話は、新)4つの労働者階級 – Chikirinの日記に、詳しく書かれていますので、読んでみて下さい。
この知識獲得がうまくできないと、『起業したいとは思っていても、なかなか起業できない』というジレンマに陥りがちになります。
この世界に存在するすべての物事には、必ず設計者がいる。
この世界に存在するすべての人工物には、それを創った人間がいます。社会的なルールだけでなく、大企業が作っている売れているヒット商品や、インターネットの世界では、Webサイト、Webサービス、スマートフォンアプリ、それらを作るためのプログラミング言語、下位レイヤーで動作するTCP/IPのような通信プロトコルまで、さまざまに。
これらは皆、仕組みを創る人達が築き上げてきました。コンピュータでもそうですが、使うのと作るには、大きな隔たりがあります。仕組みを使う人たちと仕組みを創る人たちの間には、生産性において圧倒的な差が生じます。
起業をしたり、新しいビジネスを創るというのは、この仕組みを創ることに他なりません。
スティーブ・ジョブズがMacを開発したときに、「カリグラフィーを学んでいなければ、美しいフォントをもったコンピュータはこの世界に存在しなかった」という有名なエピソードのように、そのときは一見無駄に思えるようなことでも、後々思いもしなかったことが役立つようになったりもします。
新しいことを日々勉強するのは楽なことではありませんが、職種分野にとらわれず好きなことや自分の興味にしたがって勉強してみることで、今は考えられないような未来が手に入るかもしれませんよ。