【お金持ちはケチのイメージを作り上げた】世界大恐慌を生き延びた世界一の大富豪に学ぶこと





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20世紀初頭世界大恐慌が起こった時代、ニューヨーク・ウォール街に「ウォール街の魔女」と呼ばれ恐れられた一人の女性がいました。金融業界ではその名を知らぬ者はいないほどの伝説的な人物、それが「ヘティ・グリーン」です。彼女を一言で表すならば、「倹約の鬼」。今日は、20世紀世界一の大富豪であったヘティ・グリーンの話です。

ヘティ グリーン

世界一の大金持ち、ヘティ・グリーンとはどんな人物だったか?

ヘティ・グリーンは、真っ黒のドレスをまとまった一見貧しい身なりの一人の老婆。とてもお金持ちには見えないその風貌の正体は、投資や投機で1億ドルもの富を築いた女性でした。1900年当時、間違いなく世界一の大金持ちであり、ニューヨークの証券マン達は、ヘティ・グリーンをウォール街の魔女と呼び、恐れられていました。

金持ち根性ここに極まれり。世界一は1つだけではない。

彼女は世界一の金持ちであると同時に、世界一のドケチでもあった。ヘティのドケチ魂の象徴が真っ黒のドレスで、彼女は20年間、このドレスをずっと着ていました。冬は男物の下着をつけ、靴は一番丈夫な漁師のゴム長靴といういでたちで、もうこれだけで普通じゃありません。ドレスの下には大量の新聞紙を入れ、防寒するという徹底ぶり。真っ黒のドレスも、最後には黒から緑のまだら模様に変色していたそうです。

お金持ちの食事は?

そんな彼女でも、毎日の食事は欠かすことができません。では、どのような食生活を送っていたのでしょうか。食事はもちろん最低限で、1食あたり豆一皿とパン一切れ。値段はわずか5セント。さらに、健康のためと考え、1個の玉葱をまる1日かけてかじるという徹底ぶりでした。

大金持ち「ヘティ・グリーン」はなぜこんなドケチになったか?

ヘティ・グリーンは、1835年、アメリカのマサチューセッツ州で生まれました。両親は質素な生活を良しとするクェーカー教徒で、幼いヘティは倹約の精神を徹底的に叩きこまれました。

そんな彼女が15歳のとき、人生を決定する大事件が起きます。

その日、彼女は友人と食事をしていました。友人は豪華なシーフードを注文し美味しそうに食べていましたが、ヘティはお金もなく、いつもの豆のみ。ひとしきり食べ終わったとき、友人は突然アレルギー性の発作を起こし、ヘティの目の前で死んでしまった。

ヘティはこの時悟ったそうです。「贅沢すると、ろくなことはない」と。

以来彼女は、両親に押し付けられた古着もまったく苦にならなくなりました。

そして彼女が30歳のとき、ヘティの父が亡くなり、いきなり100万ドルもの遺産がヘティが相続することになります。既に小銭を使うのにも嫌悪感を覚えるようになっていたヘティのどケチ根性は、この大金を前にますますエスカレートしていきました。

ヘティ・グリーンの結婚相手の末路

筋金入りの倹約家ヘティにも結婚のときがやってきます。相手は資産家のエドワード・グリーン。2人はニューヨークに引っ越し子供もでき、幸福な家庭を築くかに見えました。

しかし、ヘティは夫の金に対する無頓着さが我慢ならず、ついに彼を追い出してしまいます。別居後ヘティは、夫の財産を取り上げ、下宿代を送るのみ。遂には正式離婚に至ります。

1902年、エドワード・グリーンが医者に診てもらうこともなく、人知れず亡くなったとき、彼の全財産はわずか7ドルと時計1つだったそうです。

ここまでやる!? 徹底的に支出を減らす金持ち根性

未亡人となったヘティは、その後ドケチぶりをますますエスカレートさせていきます。

毎朝2セントの経済新聞で市場動向をチェックし、新聞を読み終わると息子にそれを売らせ新聞代金を浮かせたり、列車に乗るときは1等車に乗らないのはもちろん、必ず2等車の通路で寝て、車掌に切符代をまけさせたりと「ここまでやるか!」と言わんばかりのドケチ(倹約)っぷり。

そして、銀行すらも倒産させるヘティ。

ヘティは、ビジネスや市場に対し、神秘的な感を持っていたそうです。

ある日、ヘティは銀行に現れ、自分の口座から全額の100万ドルを引き出すと言い出しました。

銀行員はヘティに対して、

「そのような高額を一気に引き出されては、当銀行の業務がマヒする」

と丁寧に説明したが、ヘティは

「私のお金じゃないの、出しなさいよ!」

の一点張り。銀行員の必死の説得にもかかわらず、ヘティは激怒し、数時間に渡り泣き叫び、銀行側もやむなく100万ドルの引き出しに応じざるを得ませんでした。

この無理がたたり、この銀行は翌日潰れてしまった。銀行倒産である。

1907年、歴史に名を残す世界大恐慌が発生。その時ヘティは?

ヘティの高額引き出しにより銀行が倒産してまもなく、1907年に歴史的な恐慌が発生します。そう、世界大恐慌です。世界大恐慌により銀行は次々と機能しなくなり、当時のお金持ちの中でも破産者が続出するという大惨事に。

ですが、独特の感で他の銀行からもすべての資産引き出していたヘティだけは、まったく無傷で生き残りました。

これにより、ヘティはウォール街の魔女と呼ばれるようになりました。

息子にすらもお金を使わなかった

ある日のこと、息子のネッド・グリーンがが遊んでいる最中、足に大怪我を負う事故が起きました。これにはさすがのヘティもマズイと思ったのか、やむなく息子を病院に連れて行きました。

ヘティはそこで貧乏人になりすまし、治療代をタダにしてもらおうとしましたが、素性がばれ、治療費を請求されてしまいます。怒ったヘティは治療途中でネッドを連れ帰り、おかげで足の怪我はますます悪化していくばかり。その結果、ネッドの片足は遂に切断される羽目になってしまいました。

ヘティ・グリーンの最後

こうした生活の中でヘティは1億ドルもの資産と富を築き上げることになります。ですが、さすがの魔女も年齢には勝てず、晩年は「財産目当てに悪党が私を殺しに来る」という妄想に苦しみながら、1916年、ヘティ・グリーンはこの世を去ることになりました。享年81歳でした。

遺体は息子のはからいで、生まれて初めて1等車に乗り、棺には白いカーネーションが敷き詰められ故郷に帰りましたが、この最初で最後の贅沢にヘティはどう思ったのでしょうか。

「税金逃れのために3ヶ月に1回住所を変えたり」「家の持ち主を犬にして、犬小屋だから払わない」と言ってのけたり、数々の伝説的なエピソードを今日までに残しているヘティ・グリーン。ギネスブックも公認した世界一のドケチであり、世界一のお金持ちでもあった彼女が本当に大事にしていたものは何だったのでしょうか。

大金持ちには大金持ちの哲学があるものですが、彼女の人生を思い出すたび「お金とはなにか?」について考えさせられます。あなたにとって、お金とは何でしょうか?







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